武術のクウォリティーは基本功にあり!

武術や武道、格闘技、スポーツなどで、基本が大切って言われますよね。
では、基本って何?
ということになると思うのですが。
その種目のあらゆる技術のベースになる動きを習得するのが基本。
まぁ、そんなところが一般的でしょうか。
本来の武術においては、
すべての動作は、身体のどんな操作によって、行われるのか。
例えば、腕を挙げる動作にしても、単に三角筋という筋肉の収縮によって、腕が挙上するというのは、武術的には、あまりにもレベルが低い動作となります。
武術的には、身体のある操作を行うことによって、腕が挙上される。
とこうなります。
その、身体のある操作を頻繁に行うことで、健康に対しても、大きなメリットがあります。
言い換えれば、本当の武術では、他の運動種目では考えられない身体操作を、常に行ってます。
その身体操作を身につけるのが、基本功です。
誰もが、やった事の無い、身体の動かし方です。
この身体操作を行うと、健康面でも、大きな成果があるでしょう。

筋=スジと筋肉=ニク

中国武術では、筋と筋肉、これをスジとニクと表します。
なので、
筋=スジ
筋肉=ニク
という認識が基本になります。
合わせて筋肉=スジ ニクと呼びます。
これがいわゆる、筋肉(キンニク)のルーツかな。
中国武術ではと言いましたが、正確には、易筋経では、と言うべきでしょう。
人間と言うか、動物の身体を構成しているのが筋(スジ)と筋肉(ニク)。
もちろん骨もありますが、こちらはスジとニクによって働きかけることができます。
内臓もスジとニクで。
特に、筋=スジが重要とされてます。
易=変える
筋=スジ
つまり、易筋経が教えるのは、
スジを変える原理と方法。
ここに、人間含め動物の生命力や健康の根本があると説かれてます。
なので、身体を強くするという時に、もれなくスジを強くするということになる訳です。
筋トレをやっても、ニクは強くなっても、スジは強くはなりません。
近年、整体やカイロプラクティックなどの分野で、筋膜リリースと言って、筋肉を被う膜を重要視して、治療の方法として確立されてきてます。
膜はスジに付随するものとして、易では1500年近く前から重要視されてます。
スジは英語ではtendon=腱 と訳されます。
でも、アキレス腱などの腱というよりも、もっと広く深い意味を持ちます。
人間は動物、特に猛獣には、牛や馬などの家畜にも、チョッと大きめの犬とかでも、素手では敵いませんよね。
武道や格闘技の強者が、猛獣や猛牛を倒した、ってお話は数少なくありますが、いずれも何らかの条件下でのこと。
人間がそうした動物に勝てない理由は、まさしくスジの強さの違いにあり!
つまり、いかなる技をもってしても、あまりにも強靭なスジの持ち主には、敵わないということです。
もちろん、技が必要ないと言っているのではなくて、強靭なスジを造ることをベースに、技をマスターしていくのが、本来の武術だということですね。
本物の武術家は、いかにもスジが強そうな身体をしています。

とにもかくにも、中国文化の凄み、武術にあり!

中国が世界的に各方面で、パワーアップを見せてますね。
中国の進出・進行に対する賛否はともかく、特に東アジア圏においては歴史上、中国が創造し拡散してきた文化は、極めて大きな影響を与えてきた史実は動かせません。
日本は、あらゆる文化的な影響を受け入れてきました。
漢字はその最たるもの。
仏教もそう。
私は何かの機縁で、高校生の頃から、中国の武術に惹かれてきた訳ですが。
日本の武術・武道は、中国の武術の影響を受けてきた事も史実。
かと言って、純然たる日本古来の武術も、今に至るまで、社会の表面とは別の時空間で、伝承されています。
近年、いわゆる古武術のノウハウが、身体運動の分野などで、学習・運用されることも増えてきてます。
中国の武術と日本の武術、当然その術理やメソッドには、共通する内容があります。
それと共に、それぞれの個別性もありますね。
話を中国武術に絞りましょう。
中国武術で広く言われているのが、
「すべての武術は少林より出る。」
つまり、あまねく中国の武術は、河南省は嵩山にある、かの有名な少林寺から発祥したということ。
ではなくて、
約1500年近く前に、少林寺にインドより渡来し、仏教を伝え、中国の禅宗を開くこととなった、達磨
が残した、易筋経に示された原理に則って、武術は発展してきたという意味です。
でどういうことかというと、易筋経とは、身体ひいては精神を、根本から改革する原理が記されている。
なので、武術は、身体を根本改革することを根幹として成すということ。
言い換えれば、身体が根本改革されない様な武術は、本当の武術ではないということ。
相手に対応するテクニックを練磨するのではなく、それは結果的に出来上がってくるもので、身体の根本改革をすることで、人間が備えることができる、闘うための最高の能力を育成するのであると。
その方法を今に至るまで備えている武術が、武術としての価値を持っている。
思えば、そうした武術を、ずっと志向してしたんですね。
それは、確かに、今なお存在していました。
馬貴が伝えた八卦掌は、その一つにちがいないのです。

思えば高校生だったのあの日

私が高校生の頃だったんです、中国の武術が日本で知られ始めたのは。
当時の私はサッカーにのめり込んでました。
おそらくサッカーの練習帰りだったかと、ブラリと立ち寄った行きつけの書店。
何気なく手に取った、少々大きめの本。
知る人ぞ知る「太気拳」という題の本。
かの澤井研一先生著。
その始めの方のページ、立禅について記述されていた内容のところを読んで、それまで未経験の、大袈裟かもしれないけど衝撃を受けた。
運動センスがそれほど良くない自分にとって、良くなれる何かを求めていました。
そこにズバッと刺さった気がしたんです。
「中国の武術にはそれがある。」
勝手に思い込んだ。
それ以来、中国の武術に目がいくようになり、歳月を経て、澤井先生の指導する明治神宮に通うようになった。
澤井先生という存在に触れさせていただいた事は、私の人生の宝のひとつ。
私が関心を寄せたのは、中国の武術史の中でも、類い稀な武術家が伝えた武術。
そうした武術は、往々にして表舞台には無い。
時を経て、私風情も北京に出向いて、学ぶ事に。
董海川から馬貴に伝わった、そしてその後も奇遇にも恵まれ、現在に伝承された八卦掌
馬貴派八卦掌
その伝承者の李保華老師の元で。
そこで、スポーツのトレーニングの科学(私の専門だが)などとはパラダイムが異なる、アジア圏で醸成された思想・学術とマッチングした身体運動をとくと味わうこととなる。
この文化圏で育まれた武術とは、かくありなんかと。
凡夫も、変わる。
身体、武術の力、健康、如実に変わる事を実感しました。