武術の「要訣」って?

中国の武術では「要訣」とかいって、その武術で大切とされる、言わば原理・原則のような内容を、しばしば四文字熟語の形式などで、つらつらと表し伝えられています。
日本の武術でも、極意歌とかの形などで、同じく。日本の武術で言うと、最も精緻にそしてレベル高く、かつ具体的に表されているのが、実はかの有名な宮本武蔵による「五輪書」。
ところがご多分に漏れず、「要訣」とかに表されている内容を、しっかりと武術の鍛練に活用できているかというと、ほとんど活かしきれていないのでは。
抽象的表現や比喩表現が多いから。
がしかし、そこに現代の科学、例えばバイオメカニクスなどのスポーツサイエンスの理論を照らし合わせると、グッと具体性を帯びてくる。
はハァ、名人はこんな風に動いていたのかとか。
でも、まだまだそのレベルでは、「要訣」とかに隠された内容を、充分に汲み取ったことにはなりません。
人間の意識、しかも身体意識をも包含した運動科学を照射すると、正しくその全貌が照らし出されます。
運動科学とは、高岡英夫先生によって創始された学です。
「含胸亀背下端腰」という「要訣」。これこそは正に、武術に不可欠の体幹とその動き・機能を造るためのものに他なりません。

身体のどこを、どの様にすれば・・・・・

どの武術でも、身体をどの様に動かすべきかということについて、教えが伝えられています。
中国の武術ではこれを、「要求」という風に呼んだりします。
しばしば、四文字熟語で表されたものが遺されています。
太極拳で一般的に知られている、「含胸抜背」とか「沈肩墜肘」とか。
こうした伝承内容で、最も重要かつ武術の動きの原理原則を伝えるものは、体幹に関する教えです。
所謂、本物の武術においては、体幹の扱いに関する要求に比重が置かれています。
これだけでも、その武術の水準を推し測ることができるのです。
近年、スポーツの分野でも、体幹がキーワードになっていますね。
しかし、体幹レーニングとかで、体幹の安定性などを高める事に注目が集まっています。
でも、そこにいく前に、体幹をどの様に動かすか。これが先ずもって重要なんですね。
体幹の動きは、極めて精密に出来上がっているのです。
武術はそこを取り戻す様に、練功のプロセスが出来上がっています

あまねく中国の武術は、少林寺より出る。

『全ての武芸は少林より出る。』
有名な文言ですよね。
中国の数多ある武術は、全て、少林寺にそのルーツがある。
単純にはそう解釈されますよね。
しかし、その意味するところは、少林寺で行われていた武術が
、あまねく中国の武術の源ということではありません。
今から1500年くらい前に、インドから少林寺にやってきて、禅宗を伝えた達磨が遺した『易筋経』。
達磨は実在の人物です。
易筋経には、生命の成り立ちが記されています。
そのあまりにも本質を捉えた内容に、あまねく武術がそこを原理として、発展していった。
ということは、易筋経に著されている原理にそぐわない武術は、レベルが低いということでしょう。
注意しなくてはいけないのは、中国でも日本でも、出版されている易筋経に関する書物は、まるであてにならないということ。
易筋経を理解できている人は、400年に一人とかしか現れなかったと聞かされたりしました。
ともあれ、馬貴の伝えた八卦掌は、この易筋経の原理に、実に良くかなっている。易筋経の原理を現実のものとして、その個人の心身を変革する最適な方法だということです。

上達の個人差何のその!

中国武術の最高効率の練功法を確立できました。
馬貴派八卦掌練功をしつつ、欠損しているものを感じてきていて。
この欠損が在るが故に、限られた人しか、高いレベルに到達できない。それも、長い時間を要して。
本来、武術と言うものは、だいたい5年もしたら、トップクラスの域に入るべきもの。
じゃないと、自分の身すら、いつまでたっても護れない。
馬貴派八卦掌は本当に凄い功夫が身に付きます。しかし、長い時間と、その個人の条件に因ります。
馬貴派八卦掌練功体系の隙間を埋めると、個人の条件を克服できて、時間も大幅に短縮できます。
その『隙間を埋める』具体的な方法が、明確になりました。
例えば、「含胸」と言うけど、その含胸ができない。充分なる含胸ができる様にするための方法とか。

馬貴派八卦掌、もし戦ったら。

武術というものは、人間の身体運動の極みを体現するものです。
でないと、あらゆる状況下で、生き延びることができないから。
ワン・ツーのパンチのサバキ。
先ずもって武術にサバキやディフェンスはありません。
先ずは、如何に高速で、位置移動するか。
この場合の位置移動は、垂直方向です。つまりは落下。
落下運動の、速度0からの加速度以上に早い加速度は、人間の身体運動ではあり得ません。
つまり、どんなに速いワン・ツーが来ようとも、本当の武術家は、もっと速く動いて、ワン・ツーパンチの射程にはいなくなります。
馬貴派八卦掌の走圏は、この落下運動の発現を促すものです。
つまりは『沈』する事。
そういう走圏の練りか方をしないと、何年経っても、武術としての強さが出てきません。
もしワン・ツーが来た時に、穿掌の手法をしてたら、それはまるで、剣を突き出してボクサーと相対しているとの同じで、しかも動き出しはボクサーより圧倒的に速く、そしてその動き出しは相手には感知できない。
さらには、走圏を練ることで、脳機能のバージョンアップが起こりますから、こちらは相手の動きや気配を感知する能力が格段に上がる。
その様になっていくように走圏を練らなくてはいけません。
おそらく、馬貴派八卦掌やってる人達の多くは、そうした方向に進んでいける様には、練れてないと思います。
何故走圏によってその様な能力を養っていけるのかは、力学的に、脳科学的に、脊柱等にフォーカスしたバイオメカニクス的に、さらに身体の構造的(筋や膜や血流等)に、等の観点からきちんと理解・説明できます。
馬貴派八卦掌が、技激の面と養生の面両方で、大きな効果をもたらすということを、科学的な概念で理解・説明できます。

以下、参考までにですが。
かつて確かお正月番組だったと思いますが、沖縄の御殿手の上原先生(この方はホンマモンの達人でした)がボクシングのバンタムの世界チャンピオンだった薬師寺と相対するという企画がありました。
薬師寺がどんなにパンチを打っていっても、上原先生は当たらないというか、パンチが出せない。打とうとしたらそこにいない、打とうとしたら目の前至近距離に詰められてるとか上原先生は攻撃は一切しないで。
しばらくして、じゃあこれから私も攻めるよ、というところで映像は終了。
その後の結果は、想像に難くない。
馬貴派八卦掌が戦った場合どんな風になるのかは、上原先生の武術を観ればよく解ります、
相手は何もできないで、ただ壊滅的に破壊される。
高速の重心の落下によって、地面から反力が生まれて、その反力を運用して、あらゆる方向に最速で動きます。
本当の武術の動きは、動き出しが最も速度が大きいのです。
他の運動は、動き出しからレイコンマ何秒かしてから、最高速度に達します。
ここに違いがあります。

身体のメカニズムと意識状態

武術は様々な状況下で、自らの生命を護るためのもの。
そのためには、小手先のスキルのみでは、全くの事足らず。
例えば、相手の心のなかを察知することとか、その場の事態の先読みとか、当たり前にする事が必要。
しかも、瞬時に、自動的に、無意識にできなくては要をなさない。
武術の鍛練は、こうした能力も養い、高めるもののはず。
加えて、最高度の身体の動きによって、その局面を打開する。そのためには、人体の精緻なメカニズムに則った、合理的な動きをする能力が、併せて備わらなくてはならない。
こうした能力を開発していくメソッドが、武術の鍛練方法の筈。
果たして、どれ程の武術と称するものが、これらの条件を備えて、今日行われているでしょうか?
そして、当然ながら、そのメソッドの本質をはっきりと表すのが、基礎の鍛練法。
中国武術でいうと、基本功。
基本功で、身体の合理性に則した動きと、最適な意識状態を、直接に開発するものでしょう。
例えば瞑想は、最適な意識状態を目指す。しかし、身体合理性の動きは、そこには無い。
馬貴の伝えた八卦掌の走圏は、正しくそこに足るものでしょう。

『膜』1600年の時を越えて、今!

科学 v.s.古来からの叡知。
私達の遥か昔の先祖は、科学無くして、何万年もの年月を生き延びてきました。
そこには、現代人が想像だにしない叡知があるにちがいない!
そして、科学はその叡知を、浜辺で貝殻を一つ一つ拾い集めるように、解き明かしつつあります。
『膜』もそのひとつ。
膜と聞くと、ある専門分野の人達は、筋膜を連想するかもしれません。
しかし、筋膜のみならず、私達人間の身体の組織という組織は、膜に被われています。
微細なところでは、細胞は細胞膜に。
細胞の中にあるミトコンドリアも、内膜・外膜に被われてる。
筋肉を被う膜も、筋内膜・筋周膜などあります。
組織という組織は、膜に被われてる。
そして、膜によって、組織は生かされていることが、ようやく解明されつつあるのです。
だから、健康でいるためには、膜にアプローチすることが必要。
運動でも、治療でも。
世の多くの運動で、膜にアプローチできる運動は、希少。
膜にアプローチすると、身体の変化は、驚くほど大きく、そして早い!
驚くべきは、約1600年前に、実在の人物であるかの達磨大師が、少林寺にその教えを残しています。
それが易筋経。